凡夫の手記

日々、感じた思ったことなど

マッチングアプリを再開した理由

一人暮らしを始めてもう10年が経とうとしている。

大学生・社会人・上京だったりプライベートにも仕事にも色々と環境の変化はあったが、結局、休みの過ごし方はあの頃と変わらない。ぶらぶらと街を目的もなく歩いたり、パチスロ打ったり、スパ銭で一日過ごしたり、なんなら近くのBOOKOFFでずっと立ち読みしていた中学の頃と何も変わらない。

一方で、久しぶりに体を動かすと想定以上に早く息があがる。グラウンドを何十周もさせられた記憶と公園2周で足が進まない現実がリンクしない。数日ほっといてもあまり伸びなかった髭も今は数日ほっとくとまあまあ生えてくる。体は心を置き去りに順調に歳をとっているようだ。

リモートワークだから1日中、パソコンとガラス越しの空を眺めている。街路樹さえゆっくりと季節を刻むのに、画面に映るお前は変わっているのかと無表情な目が問いかける。

Windowsのロック画面に、開けた荒野の中央にただ一つレールがまっすぐに地平線まで敷かれた絶景が表示された。ふとまるでそれが自分の将来のように思えた。今と同じ風景を10年、20年、30年見ていくような。

「つまんねぇな」キーボードを叩きながら無意識に呟いていた。

そんな未来を変える方法は既に気づいているし、自分の力でどうこうするのは最早無理なことも知っている。人と関わるのは億劫になったのはいつからだろう。別に裏切られた訳でもないのに人に期待しなくなったのはいつからだろう。

そんな後ろ向きな言葉も浮かぶが、人生の中でまだ人を好きだった期間の方が長い気がする、それが逆転したらやばい気がする。寂しさや孤独ではなく、退屈に毒され蝕まれ麻痺し壊死する前に手を施さなくて。あるのは緩やかな死だ。もしも将来宝くじに当たったとしても何も持たない僕だからこそ愛し愛してくれる人に巡り合わなければ。

変化があろうがなかろうが時間は正確に進む。後になればなるほど気づいた時に手遅れになっていく、今という瞬間が今すぐに過去になるような、今登り終えた階段がすぐさま崩れ落ちていくような、終わりの足音が遠くから聞こえたらすぐ後ろで聞こえるような感覚に追い回される。

見通せてしまった未来を変えるために右スワイプを繰り返す。

 

追記 書いてるときに共感できたツイートがバズッてたので記載

お金がかかるから結婚もせずもありだと思うけども、前も言ったけど、斎藤孝氏の『人はなぜ愛するのか』の一節に人がなぜ結婚し子供を作りの一つの答えとして「生きていくモチベーションを自分一人だけで持ち続けるのは意外に困難だから」とあったけどこれはかなり本質を突いた表現だと思ったな。

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