凡夫の手記

日々、感じた思ったことなど

華金

金曜の夜だ。べろべろに酔った女が電車の横に立っている。横の前には女と娘が座っている。俺の目の前には中国人が座っている。目の前に悠々と座っている中国人を睨みつける。中国人にも関わらず居心地が悪そうだ。横の女の前の親子連れは電車の揺れで女の前に背負ったリュックが触れると払っている。お前らが立てばこの女は座れるのでは?娘は「しょうがないね」という顔で座っている。何がしょうがない?お前が立てばいいだろ。仲睦まじそうに座る親子。お前らはたまたま早く座った分際で何を払ったか。何を犠牲にした。困る人を犠牲にした屍に何を築いているのか。「大丈夫ですか?」声をかけるのに席を譲りもせぬ軽薄さよ

最近の悩み

最近、欲というものが湧かなくなった。以前は会社の中でイケてないなと思うところをなんとかしたいと思っていたし、私生活でも土日はあちこちに出かけたり飲食店の新規開拓などしていた。そういった欲もなくなりただただ同じように仕事をして飯を食う。結婚してからというものそんな感じだ。


欲というのは無限で、欲が一時的に満たされてもそれに慣れて更なる欲を求めるという果たしてそれは本当だろうか。満たされなかった時の方が渇望的でエネルギッシュだった。

きっと今の自分は幸せなんだろう。満たされてるから何も感じない。だけれども満たされたせいか頭も働かないし能力も落ちていく。この満たされる感覚と渇望的エネルギーを両立できたらいいな

 

追記 タイムリーに同じようなことを言っていたので参考

https://youtu.be/Et22ySnbx9w?si=4Y_vDEY22Na33rms

20代を振り返って

自分にとって20代は人生で一番楽しかった期間でもあるし、頑張った(苦しかった)期間でもあった。

 

僕にとって高校時代は一般的に言われる青春時代よりは輝いていなかったと思う。運動神経も良くないのに運動部に入って万年補欠で運動場を何周も走っていた。定められたタイムに間に合わなく連帯責任だと他のチームメイトも走らされた。そのたびに罪悪感、劣等感、無能感に苛まれた。

 

大学に入ってからは旅行サークルに入った。県内の観光地に日帰り旅行に行ってから部室で徹夜で麻雀をしていた。半荘で負けた奴が大学前の弁当屋まで250円の弁当を買い行かせたし買いに行かされた。あの時が人生で一番楽しかった。その日々は4年生まで続いた。

 

4年になって研究室に入った。なんというか自分と教授は馬が合わなかったのだろう。教授という人種は程度の差はあれみんな変人で強烈である。研究室という何人単位の共同体で馬が合わない同士がいたら悲惨である。自分も教授もろくに話をしなかった。卒論が近づいてきたタイミングでこれまでの成果を伝えると「お前はこの一年何やってきたんだ?」となった。限りあるリソースや時間の中で自分が考えられることをやっていたはずだが、それは足りず自由さというか好奇心というか枠をはみ出る努力をしなかった。それからの1カ月あまりはほぼ不眠不休で実験やデータ分析をしていた。毎日3時間程度しか寝れず、卒業できないかも、留年になったら親に申し訳ないな、俺はこの1年間何やってたんだろうなという思考と緊張で満足に寝れなかったり、ベッドに横たわった瞬間に意識を失ったりした。中間発表のときには自分の発表をしたくなかった。腹が痛くなるのが分かっていたので昼ご飯は食べなかった。中間発表では「とりあえず人様に見せられるような資料を作れ」と言われたことだけを覚えている。それ以降、会社でも発表する際には資料に時間を割くようになったし、今でも発表前に動悸がする。一番ひどいときは字が読めなかった。論文を読むのだが、例えば「ブランコ」と出てきたときに、「ブランコ」とは読めるのだが、それが公園にある揺れる遊具だということが認知できない。そんな状態で1行を何回も読み直す。1行を理解するのに10分以上かかり、次の行を理解するのに10分かかり、前の行の理解が抜けていく。もうダメだと思ったし、ボロボロになるとこんなに退化するんだ、すげーと他人ごとのように思った。卒論追い込み時に中間発表に間に合うようにアラームをかけるのだが、アラームが鳴ってもベッドから出ることができない。何もしないまま時間が経ち中間発表をしている時間になり、ぼんやりと今中間発表しているんだろうなと思う。中間発表の時間が終わると不思議なことにベッドから出られるので、卒論のために学校に行き準備をする。教授から見ると中間発表を無断欠席し、そのあとに顔を出すとしれっといるのである。さぞ不愉快に思ったことだろう。先輩が精神科に行って薬を飲み騙しだまし研究やってると聞いて隣町の精神科まで行った。仰々しい書斎みたいな所に通され「1カ月だけでいいので集中できる薬が欲しいです」と言った。「君みたいなのがたまに来るんだよね、転売かラりたいだけなのか知らないけどね。ほらそうやって爪を噛む。爪を噛むというのはある種のストレス発散行為でね、君は幼いころ両親から愛されなかったのかい?」椅子にふんぞり返りながら鼻にかけたように言っていた。人生の中でこの瞬間が一番怒った気がする。かっとなって人を殺すというニュースは他人事だと思っていたが誰にでも当てはまることなんだなと実感した。卒論前後1週間くらいの記憶はないが、きっとうまくやったんだろう。自分は忘れたいことを忘れられる体質のようだ。幸福である。あの時期のことで今でも覚えているのは、辛いことがあったら銭湯に行くという習慣と、自分は1カ月が頑張れるリミットだという自負と、雪積る深夜に自宅に帰る際に足に染みた雪の冷たさとひもじさだった。しかし、卒業したとて自分はそのまま内部進学で同じ研究室だった。この1年があと2回ある、そうか・・・先の見えない圧迫感と閉塞感があった。確か学部卒業後の1カ月くらいはまともに学校に行かなかったはずで、周りの卒業旅行とかに付いていった気がする。また、今までの反動か躁になって、修士1年にも関わらず部活に入部したりした。大学院生活は就職までのモラトリアム期間だと認識を改めた。今のまま就職しても文字が読めない。この症状が落ち着くまで何カ月かかるか分からないが、のんびりしておこうと思った。内部進学でよかったと思った。朝起きて夜眠る、文字が読めるみたいな急性症状は幸い2カ月くらいで治ったが、あの感覚は今でもふと思い出すことがある。自分はもうアカデミアの世界にも、その業界にも興味が失せたので別の興味を探すためインターンに行ったりした。そして東京に就活に行ったりして、もうあんなにボロボロになれない自分は、早めに準備し卒論よりはボロボロにならずに修論を出し卒業した。あれ以来あの大学があった県には行っていない。

 

上京した以降の話は以下記事参照。

bonbunosyuki.hatenablog.com

bonbunosyuki.hatenablog.com

 

20代も終わる。初めての彼女とは1年程度で別れたし、新卒で入った会社は辞めたし、上で書いた初恋の人は結婚した。振り返れば色々とあった気もするが、ただただ悶々と瘡蓋をほじって血を出して、血が固まったらまたほじるような生産性皆無な自傷行為をしていた10代より、楽しさや辛さを味わえた20代の方が自分にとっては素晴らしかった。自己は他者との関係の上で姿形を変えたりしながら成り立つことが分かったし、卒論でボロボロになった経験から人に優しくなれた気がする。10代の自分は理想論をかざす正義マンだったと思う。大人と子供の違いは白と黒の間にあるグレーをどこまで許し認め、倫理や利損、義理人情といった物差しで、どこまで割り切るかという話ではないかと思う。

卒論より頑張ったことは人生でまだないし、あの時と同じくらい頑張ることは今後無理だろう。あれ以来自分はやばいと思ったときには大袈裟にアラート出すようにした。会社ではアラートを出すと助けてくれる人がいる。ありがたい限りだ。

自分より年上で年収も高い癖に能力が低い人もいれば、自分が生まれ変わっても敵わないと思える人にも出会えた。一生懸命に頑張るけれども能力が追い付かない人も、残りの人生を会社にしがみ付いて耐えきればという人もいた。それぞれの人に守りたいものや譲れないプライド、他人は踏めこめない聖域があるのだろう。

人間の価値とは何だろうか。仕事ができるとか、話が面白いとか、お金持ちとかはある側面を切り取ったその人の特徴だ。もっと本質的な人としての価値は、思いやりや信頼、愛というものではないかと思う。

今の彼女から大らかなところが好きと言われる。それはこの20代で僕が学んだことだろう。彼女は僕を気遣ってくれるし、これから生計を共にするなら無駄使いは良くない、一緒に長生きしたいからお酒はあんまり飲まないでと戒めてくれる。彼女となら自分一人では行けない境地にも行ける気がする。JPOPに出てくるような「君は太陽」だとか「喜びは2倍に、悲しみは半分に」、「一億人から君を見つけたよ」と言った歌詞を今までは鼻で笑っていたが、今ではそれを素直に受け止めることができ、なんて素晴らしいのだろうと思う。また、「愛は育むもの」という言葉の意味についても分かるようになってきた。これからは何があるのだろうか。1人ではなく、2人でその先を見ることができれば幸せだ。

PHP技術者認定試験を受験します

2023年7月にPHP技術者認定試験を受験予定です。

業務でPHPを扱うことになったため、体系的な知識を得たいと思っていました。

このような宣言をすることで問題集もしくは主教材のどちらかをプレゼントしていただけるようなので、この度このような宣言をいたしました。

頑張りたいと思います。

 

www.phpexam.jp

マッチングアプリを再開した理由

一人暮らしを始めてもう10年が経とうとしている。

大学生・社会人・上京だったりプライベートにも仕事にも色々と環境の変化はあったが、結局、休みの過ごし方はあの頃と変わらない。ぶらぶらと街を目的もなく歩いたり、パチスロ打ったり、スパ銭で一日過ごしたり、なんなら近くのBOOKOFFでずっと立ち読みしていた中学の頃と何も変わらない。

一方で、久しぶりに体を動かすと想定以上に早く息があがる。グラウンドを何十周もさせられた記憶と公園2周で足が進まない現実がリンクしない。数日ほっといてもあまり伸びなかった髭も今は数日ほっとくとまあまあ生えてくる。体は心を置き去りに順調に歳をとっているようだ。

リモートワークだから1日中、パソコンとガラス越しの空を眺めている。街路樹さえゆっくりと季節を刻むのに、画面に映るお前は変わっているのかと無表情な目が問いかける。

Windowsのロック画面に、開けた荒野の中央にただ一つレールがまっすぐに地平線まで敷かれた絶景が表示された。ふとまるでそれが自分の将来のように思えた。今と同じ風景を10年、20年、30年見ていくような。

「つまんねぇな」キーボードを叩きながら無意識に呟いていた。

そんな未来を変える方法は既に気づいているし、自分の力でどうこうするのは最早無理なことも知っている。人と関わるのは億劫になったのはいつからだろう。別に裏切られた訳でもないのに人に期待しなくなったのはいつからだろう。

そんな後ろ向きな言葉も浮かぶが、人生の中でまだ人を好きだった期間の方が長い気がする、それが逆転したらやばい気がする。寂しさや孤独ではなく、退屈に毒され蝕まれ麻痺し壊死する前に手を施さなくて。あるのは緩やかな死だ。もしも将来宝くじに当たったとしても何も持たない僕だからこそ愛し愛してくれる人に巡り合わなければ。

変化があろうがなかろうが時間は正確に進む。後になればなるほど気づいた時に手遅れになっていく、今という瞬間が今すぐに過去になるような、今登り終えた階段がすぐさま崩れ落ちていくような、終わりの足音が遠くから聞こえたらすぐ後ろで聞こえるような感覚に追い回される。

見通せてしまった未来を変えるために右スワイプを繰り返す。

 

追記 書いてるときに共感できたツイートがバズッてたので記載

お金がかかるから結婚もせずもありだと思うけども、前も言ったけど、斎藤孝氏の『人はなぜ愛するのか』の一節に人がなぜ結婚し子供を作りの一つの答えとして「生きていくモチベーションを自分一人だけで持ち続けるのは意外に困難だから」とあったけどこれはかなり本質を突いた表現だと思ったな。

togetter.com

「Hello, Again 〜昔からある場所〜」を考えていた

カラオケに行くとリモコンの履歴を押して、知っている曲があったら歌い、なかったら下にいくのを履歴の全件(DAMだったら1000件全部)やってます。

そんな感じでこの前歌った「Hello, Again 〜昔からある場所〜」最近ずっと頭の中でリピートされる。

My Little Lover「Hello, Again 〜昔からある場所〜」
作詞:KATE 作曲:藤井謙二小林武史

www.youtube.com

いつも 君と 待ち続けた 季節は
何も言わず 通り過ぎた
雨はこの街に 降り注ぐ
少しの リグレットと罪を 包み込んで

君は去ってしまった。手の届かない場所へ。
いつも僕たちは一緒だった。このままずっと一緒にいられると思っていた。
だけどそれは突然のことだった。何が起こったのか分からなかった。
何も分からないまま、朝が来て夜が来て、春が来て夏も過ぎていった。

 

今日は朝から雨だ。わずかに空いたカーテンから木漏れ日が差し込む。携帯の天気予報を確かめると全国的に雨だそうだ。二度寝しようと目を閉じると、しとしとと地面を叩く音がする。懐かしく暖かい匂いがした。と同時に居心地の悪さを感じた。僕は君に何をしてあげられただろうか、あのときの後悔にふっと呼び起こされた。逃げるように布団を被る。外では静かに罪を流す音がする。

泣かないことを 誓ったまま 時は過ぎ
痛む心に 気が付かずに 僕は一人になった

あれからどれくらい経っただろうか。手を合わせるたびに数えることは減っていた。だけど泣くことは減らなかった。街中の雑踏に、車の窓ガラス、視界の端でいつも君を感じていた。そんなことあるわけない、あるわけないと裏切られ、疲れるたびに自分に言い聞かせた。そんなことが続いたある日、どうしようもなくなったのか唐突に受け入れられるようになった。そのころから泣くことはなくなった。

だけど、それと同時に笑うこともなくなった。大好きだったエビフライもガサガサとした何かのように感じられた。それからはあっという間に年を取った気がする。普段静かな携帯がたまに連続で通知音を鳴らす。学生時代のグループチャットだ。あいつらも元気だろうか。中を覗くと結婚したとの報告。おめでとうのスタンプを送り眠りについた。

「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」
君の声が 今も胸に響くよ
それは愛が彷徨う影
君は少し泣いた? あの時見えなかった

夢を見た。授業の間の休み時間の風景だった。懐かしい顔とともに自分も笑っている。授業を受けて、放課後一緒に遊んで、休みの日は君と近くの公園で遊んだ。僕はそれを自分の後頭部と一緒に眺めていた。そして、最後の別れ際、君と「またね」と手を振ったところで君の顔が分からなくなった。そういえば君はどんな顔だっただろうか。

そこで目が覚めた。もう一度夢を見たいと思って目を閉じたときに涙がこぼれた。

 

 自分の限界が どこまでかを
知るために
僕は生きてる訳じゃない
だけど 新しい扉を開け 海に出れば
波の彼方に ちゃんと"果て"を感じられる

後悔と無力と自責の塊だった。あの時こうすればよかった、もしもタイムマシンがあったら、そんなありもしない if を何度も何度もシミュレーションして夕陽を眺めていた。こんなことをしてても無駄じゃないか、分かっていたように思う。だけどあの頃はそうするしか自分を保つ方法がなかったように思う。夢と現実に傷つくリストカットの痛みの中でしか生を実感できなかった。時は流れ環境は変わる。気が付けば僕は一人だ。過去を慰み者にして、僕はあの頃と比べて何か変わっただろうか。僕は何故生きているのだろうか。

決別を告げ新しい扉を開けた。その世界は暖かくも厳しくも、しかし確かに僕を受け入れてくれた。僕がいたかった場所はここなんだろう。そして、この道の先に君もいるんだろ。

僕は この手伸ばして 空に進み
風を受けて
生きて行こう
どこかでまためぐるよ
遠い昔からある場所
夜の間でさえ 季節は変わって行く

君へ
僕はもう少し頑張ってみるよ。この空に羽ばたくまで。向かい風に吹かれるときも追い風に吹かれるときもあるかもしれない。でもそれは君が味わいたくても味わえなかったものだろう。きっとまたいつか出会えるさ、始まりと終わりの場所で待っててくれないか。物言わぬ季節が巡る間にも僕はそっちに向かってるから。

雨は やがて あがっていた
「記憶の中で ずっと二人は 生きて行ける」
君の声が 今も胸に響くよ
それは愛が彷徨う影
君は少し泣いた? あの時見えなかった
Hello, again a feeling heart
Hello, again my old dear place
Hello, again a feeling heart
Hello, again my old dear place
Hello, again a feeling heart
Hello, again my old dear place

新しい扉の先で僕は笑う。君を忘れたわけではない。だけどいつも感じているわけでもない。それは故郷のようなものだ。僕が帰る場所だ。自分を見つめ直す場所だ。君を思い出すたびにこの愛が触れ合うことがなかった痛みが走る。この痛みを胸に抱いて君のもとに歩いていくよ。あの場所で待っていてほしい。

 

JUJU 「Hello, Again~昔からある場所~ (Ballad Ver.)」 編曲:松浦晃久

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絢香「Hello,Again~昔からある場所~ -Tales of ARISE ver.-」

www.youtube.com 

 

 

26歳彼女なし=年齢に初めて彼女ができた話

天井に取り付けられた豆電球が滲んでいた。

幼いころから一人で涙したとき慰めてくれたのは豆電球だった。涙を蓄えてそれを見ると万華鏡のようにキラキラとして、無駄に速くなった鼓動を落ち着ける間、気を紛らわせた。

 

初めて人を好きになった。この年になって初恋か...と自嘲に思えた。そして、初恋は実らないことが常だ。

 

それは初めて現場に配属されたときの職場の人だった。院卒の自分より年下のくせに先輩というギャップがまず最高だった。とはいうものの別に最初から好きになったわけではなかった。ただ一緒に仕事を教えてもらううちに彼女の仕事へのプロフェッショナルとしての信念や、その一方の愚痴交じりの打たれ弱さ、なにより嫌いなものは嫌いという正直さと人を慮る優しさに徐々に惹かれていった。パソコンに向かいながら隣の席同士で業務のこと、他愛ないことを話しながら少しずつ相手の情報を聞きだそうとした。秘密主義な彼女はなかなかプライベートのことは話さなかったが、ぽろっと好きなアーティストを聞いたらその日のうちにYoutubeで検索した。彼女にも彼氏がいるとの噂だったが「直接聞いてないし...絶対俺のほうが好きだ」といえる自信があった。大学6年来の友人に話したら「お前がそんなエネルギッシュに語るのを初めて見た」と言われた。休みの日に買い物に行くときも偶然彼女と会う奇跡を望んだし、彼女を思うと動機で眠れなかった日もあった。ついには食欲がなくなり何kgも痩せた。、恋の病にかかっているのを自覚し自嘲すると同時にまだ自分にこんな感情が残っていて、浮かれることができて毎日が楽しく、空が青いと思えることに感動した。

 

しかし、その恋は実らなかった。原因は全部分かっていた。「キモかった」からだ。

26歳、顔も良くなく恋愛経験もない根暗が急に何かに取り憑かれたように盛ったらキモいだけだ。上手な話の引っ張り方も知らない。盛り上げ方も知らない。ましてや誘い方も知らない。初めて好きになった女の愛し方すら分からないままこんな歳になったこと、好きになった女を抱く方法も分からず他の男と笑う姿が憎くて悔しくて堪らなかった。アプローチをしたときに自分で自分がキモいということに気づいていたのにそれを止められなかった。止めたくなかった。このまま中途半端にブレーキをかけてネットの浅知恵のテクニックをしたところで自分は使えないし、そこから何も学べないことも分かっていた。他の普通の人が経験することを学んでこなかった自らの罪だ。もちろん結果は駄目だった。いわゆる非モテコミットの典型例として撃沈した。

 

その後、後悔と憎しみと化した自分は暇さえあれば恋愛コラム、心理学、自己啓発の本を見ていた。その中でも自分の興味を引いたのは恋愛工学だった。恋愛工学は先の非モテコミットの出典元であり、適当な女が書いたコラムよりよっぽど自分に合ってると思った。そして、より今の時代に即した生の情報を得ようとしてTwitterのナンパ界隈に迷い込んだ。そこは出会ったその日にSEXした数を競い合いマウントしながら、モテテクニックをnoteで有料で売ったり、講習として何千円~数十万円使うような界隈だった。そんな界隈にへばりつき発言力が強い人を何十人もフォローし、2カ月ROM専していた。すると、同一人物は数週間おきに同じようなことを言ってるし、みな異口同音に同じようなことを言っていることに気が付いた。それは「モテるためには男らしくあれ」ということだった。マッチングアプリのプロフィールは有料noteを買い研究し、写真は地元や大学の友人に恥を忍んでマッチングアプリ用の写真を撮ってくれと頼みこみ、それには飽き足らず5万払いナンパ師に写真を撮ってもらった。片っ端からメッセージを送りうまくデートに誘えても会話が続かないことが多かった。デート後何がいけなかったか、盛り上がった会話をメモに書き改善を行った。PDCAを回すことで相手が変われど反応が徐々に良くなってきていることがゲームのようで楽しかった。そんなことを十何回も繰り返したときはじめて即る(会ったその日にSEXする)ことができた。達成感があったし相手はさほど綺麗ではないヤリマン大学生だったが、あなたなら彼女になってもいいよと言われたことは素直にうれしかった。しかし、彼女は体の関係以上の愛に飢えているように見えた。ナンパ師たちの方法は体の関係を結ぶことに特化している。彼女は体だけの愛ではなくそれ以上の愛を注いでくれる人に出会う為にいろんな男に体を捧げる日々を繰り返しているように思えた。「私があなたを好きになったらその責任取ってくれるの?」。ついさっき会った自分にその覚悟はもちろんなかったし、キープもしくはセフレとするのも申し訳なく感じた。ああこうやってワンナイトは生まれるのかと感じた。そして、自分はSEXではなく恋人を求めているのだということに気が付いた。

 

そんな裏で何回もデートを続けている子がいた。彼女は最初のデートから分かってほしいという欲求が強かった。彼女は不遇な青春時代を過ごした反動からか現在なにかと頑張っているようだ。きっとそれは、イーブイが異なる進化先を複数持っているのと同様に僕の違う未来のように見えた。また、起源を同じにする僕らは分かり合えるのではないかと感じていた。そして、「人は、もしくは自分はなぜ生きているのか?」その質問に即答したとき人生で初めて分かり合えるのではないかと感じ、一緒にいたいと思えた。それは初恋の時に感じた激情ではないが、あれが恋ならばこれはなんだろうか。自分の中で堂々巡りしても答えは出ないので意を決して彼女に「好きだ、付き合ってくれ」と頼んだ。

 

僕は今まで彼女がいたことがなかった。だから、関係を持続させることに不慣れかもしれない。そして、お互いのことについてまだ知らないことも多い。似ている・分かり合えると思った価値観も進化先が違うためか似ていないと感じることも多い。それを理解しあいすり合わせていくのは相応の時間がかかることだろう。それでも、僕は彼女と一緒にいたいと思っている。